井の中の蛙大海を知りて航海に出づ

哲学
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中学時代まで

物心がついたころには、自分が周りよりも勉強ができるということがわかっていた。

それから少しして、勉強ができると生きやすいということに気づいて、さらに勉強するようになった。

でも俺の生まれ育ったところはとても田舎だったから、大学に行くなんて当たり前じゃなかったし、俺自身としても、大学に行けるなんて思わなかった。事実、1学年10数人しかいない小学校のクラスで1番頭が良いだけじゃ、高くできる鼻もありはしない。「井の中の蛙大海を知らず」だ、と小6の時の担任は俺に言った。中学に行けば俺よりもずっと頭のいい奴がたくさんいるらしい。

そんなことはなかった。中学校に、俺より頭のいい奴はいなかった。とは言え、中学で1番の成績を取っても、馬鹿ばかりの片田舎の公立中学じゃ、何の箔にもなりはしない。

6歳から通っていた空手道場の先輩に、進学校に通ってた人がいて、空手部があるらしいし、一応そこが制服校のうち北海道で一番偏差値が高かったので、なんとなくそこを志望校にした。決めたのは中2くらいの時で、別に届かなければ、下げればいいし、今はできるだけ上を目指そうと思っていた。

初めて受けた中3の夏の模試で合格率が98%と出て、あー受かるのかもしれないなーと、漠然と予感した。その高校は札幌に会って、俺は札幌市民じゃなかったから、学区外枠といって、全体の5%(16人)しか合格できない枠で受けることになっていた。だから、安心はできなくて、ひたすら勉強した。振り返ると、大学受験の時より勉強していたと思う。

進学校に合格できるかもしれない、というところに来てもまだ、大学に行けるほど自分が賢いとは思えなかったのだが、塾の室長が、お前は東大へ行け!となにがしかのドラマを彷彿とさせるようなことを言うので、大学に進学するということも、想像するようになった。

「井の中の蛙大海を知らず」、と中学の時にも教師に言われた。俺が進学する高校には俺よりも頭のいい奴がたくさんいる。高校の授業はとても難しい。大学受験は厳しい世界だ。そうだという。やはり、俺ごときが行けるところなんてたかが知れてるんだろう。それでも、俺には夢があったから、頑張るしかなかった。

中学生の時には、教育に携わりたい、という将来の夢が固まっていて、当初は教員になりたいと思っていた。この願望の源泉はわからないのだが、その時からずっとこの夢自体は変わっていない。教育に携わるということの具体的な手段についての目標が変わっているだけだ。

中3になるころには、教員では、せいぜい1クラス、できても学校1つという単位でしか教育に関われないということに限界を感じ始めていて、もっと大きいスケールで教育に影響を与える、教育を変えられるような方法はないのかと考えていた。

結局、志望校には合格して、例によって塾の室長が大学の話をするので、起業家になりたいというと、じゃあ商学部だ、という。このとき、起業家といったのは、本当に漠然としたイメージでしかなかった。ただ、ここで提案された、商学部の最高峰、一橋大学を、俺は高校の3年間を通して、志望校とすることになるのだった。

高校時代

一橋大学を、高校に入学する前から志望校にしていたわけだが、これも高校を決めた時と同じだった。とりあえず上を目指してみるという。勿論最初は全く現実的には考えていなかったのだが、高校での最初の考査だったろうか、模試だったろうか、細かいところは忘れたが、高校1年生が半分終わるころには、漸く、俺は大学に行けるクラスの人間なのかということに気づいた。本当にそのころまで、大学に行く人というのは、遥か天上の賢人のような人間なんだと思っていた。俺ごときが行けるなんて夢にも思わなかった。

だが、高校に入ったことで、初めて大学進学が当たり前の世界に生きることになり、現実的に、具体的に大学入試やその先が見えるようになってくると、だんだんわかってくる。

とはいえ、高校時代は部活に明け暮れていたし、少ない休日も恋人と過ごしていたので、授業は寝る、家でも寝るという生活だった。中学時代はよく本を読んだもので、年100冊ほど読書していたが、それも0になった。しかし、インプットがなくなったかというとそうでもなく、高校時代はYouTubeで数学の動画をひたすら見ていた。なんともそれが功を奏して、数学の出来は良い方だった。結局これが入試の時も俺を助けたんだと思う。

3年の夏に部活を引退するまで、受験勉強の受の字もなかった。いや”じ”の字もなかった。いや、jの子音もなかった。それなのに、引退してからも、どうも毎日勉強するというのが肌に合わず、ダラダラと過ごす日も多かった。そのせいで模試の判定が安定しなかったのを覚えている。

でも、漠然と、一橋大学に進学して、東京で一人暮らしして、起業家になる、というイメージがあった。途中で、数学に傾倒しすぎて、数学の教員に理系に来いと何度も言われて、理系の進路を考えたこともあったが、結局、このイメージは揺るがなかった。恋人の父親を学歴で殴るために東大を考えたこともあったが、結局社会科目が足りなかった(俺は一橋の社会を倫理政経で受けているし)。

最終的に俺は一橋大学しか受験しなかった。一応後期北大に願書は出そうとしたはずだったが、書類の提出がぎりぎり間に合ったのか間に合わなかったのかどっちだったのか思い出せない。

俺は、一橋大学に合格した。中学時代までに出会ったどの教師よりも、学歴上は上になったのか。何となく、「井の中の蛙大海を知らず」というあの言葉を思い出しながら、そんなことを嚙み締めた。俺が進むそこは、まだ井の中なんだろうか。それとも、大海なのだろうか。

そしてここから俺は、ずっと後回しにしてきた一体どんな会社を立ち上げるのか?という問題に向き合うことになる。

大学時代

大学に入り、教育の勉強を始めた。商学部なので、独学の部分もかなり多くはなったが、それなりに勉強を重ねた結果、教育という複雑なシステムに、俺ごときが及ぼせる影響なんてないのではないか?ということは分かった。大学1年の夏だった。

高校時代までは、自分なりに教育というものを勝手に考えるに過ぎなかった。体系化された知識の集積に触れて初めて、俺が考えていたものの小ささを知る。まさに「井の中の蛙大海を知らず」だった。このときだったか。俺は、今まで抱いていたイメージを全く失った。

さて、どうしたものか。でも、俺には夢があるから、頑張るしかない。俺に何ができるのか、何もできないなりに模索するしかない。模索している人を見るしかない。ケースを見よう。そして、もっと解像度を上げていこう。俺は、文部科学省に行くことを考え始めた。

文科省に行けば、教育行政を一番間近で見られるし、教育系の企業をみられる機会も少なくないだろう。公務員試験で入省できるというのもおいしいし。B1の冬には、決心がついていた。

B2の秋。俺は、バイト先で、一橋の大学院で教育学を専攻している人と出会う。揺らぐ。大学院に行きたい。そういう教育への携わり方もある。そうは言っても、俺は長男だから早く就職して実家に金を入れねばいけない。長男じゃなかったら大学院に行っていた。

B2の冬。俺は、起業のアイデアを思いついてしまった。こんな企業ならいけるのではないか。揺らぐ。アイデアがあるなら、公務員よりも稼げる職に就いて、起業の資金をそろえた方が良いのではないのか。

夢を叶えたい。だが、それは俺のためなんかじゃない。教育を変えるのは、俺のためじゃない。教育を変えて、人々を、社会を、幸せにしたい。でも、その具体的な方法が難しい。教育に携わる方法は、思っていたよりも多様だ。

そしてなによりも、この夢を、俺自身の欲望が邪魔する。大学院に行って、もっと知りたい。たくさん稼いで、親に返したい。恋人と一緒の町で暮らして、結婚したい。

俺は結局、何がしたいのだろう。何者になりたいのだろう。何ができるのだろう。何者になれるのだろう。

人生で初めて、”大海”を感じている。それは喜ばしいことであると同時に、果てしない苦しみを伴う。

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とにかく邦ロックに傾倒。一番好きなのはクリープハイプです。メジャーデビュー前から聞いてて、ライブは行ったことないけど…。他に好きなバンドは、9mm parabellum bulletとかgalileo galileiとかsakanamonとかですね。自分が音楽を聴く上での基本姿勢は「人と同じものを聴かない」なので、こんな感じです。

アニメが好きなのもあって、アニソンも聴きますがガチ勢ではないです。怒らないでね。アニオタが怖いので、どんなアニメが好きかはここでは黙っておきます。

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