AIは知ってるよね。じゃあBIは知ってる?
夏季休業中に勉強していたことの一つである「UBI(universal basic income)」について今回は話していこうと思います。ちょうど話題だしね。これから先話題になることも増えるでしょうし、知っておいて損はないでしょう。時間があれば是非読んでください。
多分皆さんAI(artificial intelligence)は知っているでしょう。人工知能というやつです。今となっては多くの人が知るようになったこのワードですが、ある種兄弟のような「BI」という言葉の方は今まで見たことがあったでしょうか。この「BI」こそがつまりベーシックインカムなわけですが。まあ、兄弟といってもBIはロボットとかそういった科学技術の類ではありません。分類としては経済政策の一つとなります。とはいえ、この現代にこそ存在価値が見出される点や、AIが引き起こす問題と親和性が高い点を考えれば、文字面も似ていますし兄弟みたいなもんでしょう。それではここからBIについて詳しく説明していきます。
BIとはなにか
まず最初に、BIとはなんなのか、その概略を簡単に説明します。
BIもといUBI(universal basic income)を誤解を恐れず一言でいえば、「政府による生活費の支給」です。他の社会保障と大きく異なるのが、「生活費を支給」することと「非課税の現金給付」であるということ、そして「誰もが受け取れる」という三点です。
多くの社会保障が「生活費の補助」であるのに対し、BIは生活費をすべて支給します。つまり、月一度給付されるBIさえあれば、全く働かなくても最低貧困線以上の生活ができるということです。また現行の社会福祉では、「課税」「所得制限」という大きな問題があります。扶助を受けている人が収入を受け取れば直ちに扶助は打ち切られ、対し収入には課税されるため、扶助を受けている際より生活が苦しくなることもしばしばあります。また所得制限も厳しく、扶助を受けたくても受けられない人が大勢いるのが現状です。その点BIは全ての人に非課税の現金給付を行います(所得税がかからないということ)。数か月前の10万円給付が毎月あると思ってくれればいいです。(月10万円くらいがちょうど日本の最低貧困線だしね)
勿論BIは現在議論の真っただ中にあるテーマであり、その定義や形を一つに定めるのは難しく、今上で述べた内容についても一つの案でしかありません。その辺については後述しますが詳しく知りたい人は是非自分で勉強してみてください。
なぜBIが必要なのか
次にBIの存在意義、メリットについて話していきます。BIのメリットは主に次の三つです。
- 失業問題(経済復興)
- 格差の是正
- 社会福祉
これらについて説明していきます。
失業問題(経済復興)
ここでいう失業問題は公的扶助の議題となる失業ではなく、もっとマクロな、失業問題です。具体的に言えば、AIによる労働の喪失です。AIに限らず、テクノロジーによって労働力需要が落ち込む問題全般について今から扱います。
現代を生きる人間なら「AIに仕事が奪われる」というような言論を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。SFチックでそこまで真に受けていない人がほとんどだと思います。真剣に受け止めていてもまだ先の未来の話だと思っていることでしょう。しかしながら、科学技術の進展による労働力需要の衰退は現在進行形の社会問題です。
1993年のアメリカの総労働時間は1940億時間でした。42%労働生産性が上昇し、1000以上の新しい会社が興り、4000万人人口が増えた15年後の2013年の総労働時間も1940億時間でした。この15年の間に増えるはずだった労働力需要は一体どこに行ったのでしょうか。AIだけにその責任を負わせるのはナンセンスではあるものの、この問題を今真面目に考える必要があるのは事実でしょう。労働生産性が上昇していることや人口が増加していることを考慮すれば、失業者が増えている、もしくは働きたくても満足な時間働けていない人が大勢いるであろうことは想像に易いものです。
現時点で徐々に労働力需要は減りつつあり、失業者や低所得者層は拡大している、さらにその速度がますます上昇していくことも懸念されている、そこで登場するのがBIです。これは失業している人にカネを渡して「生かす」という意味ではありません。失業していても生活に困らない十分な収入があれば、就職のために勉強したり、専門技術を身に付ける時間的余裕が生まれることになります。新しいビジネスを始める野心が生まれる可能性も十分あるでしょう。
それだけではありません。労働力需要の減少とはつまり就職の困難さにあるわけですが、それは、やりたくもない仕事に就いている人が多くいるということを暗に示します。働かなければ生きていけませんから。高いストレスの中で働いても大した給料も貰えないのに、やめられない人がたくさんいるのです。BIは劣悪な環境で「働かされている」人を救うことだってできます。BIがあれば、やりたくない仕事に就く必要もありませんし、労働を通して自己実現する、という大きなテーマに向かって前向きに踏み出すモチベーションが生まれます。また、劣悪な環境では労働力を確保できないため、そのような労働環境の企業は体質を改善せざるを得なくなります。BIは双方向的な意味で、社会の中の労働の質を改善していくことができるのです。
またBIは消費を刺激して景気を上昇させることも期待されています。生活費がBIで保証されている以上、収入は全てオプショナルな消費に回すことができます。今まで購買に参入できなかった分野にかつての貧困層が入り込むことができるようになるのです。事実BIを採用した結果GDPが1%上昇したという実験結果もあります(都市を丸ごと利用して実用の実験が何度も行われている)。労働の質を高め、経済にいい刺激を与える、これが一つ目のBIのメリットです。
格差の是正
BIが「全ての人に」お金を与えるというアドバンテージは、「格差の是正」に貢献できます。
先に述べたように、貧富格差を縮小することは勿論、男女格差、南北問題のような地域間格差、民族差別などの格差を是正していくことができます。現行の福祉政策には、このような差別が隠れています。日本でも産休・育休の制度を見れば男女格差が隠れているし(改善されてはいますが)、EU諸国やアメリカは移民のセーフティーネットに対しかなり厳しい所得制限を設けています。悲しいですが、このような格差は根深く、福祉政策にでさえ、その影響をのぞかせています。
その点BIは、まさに「無差別」です。まあ、この点が物議をかもすこともありますが。(高所得者にも同額の給付を行う点や、都市と地方では賃金が異なるのに同額を給付する点など)無差別の給付が、差別思想を根絶するわけではないですが、少なくとも、女だから、黒人だから、という理由で生きていけなかったり、搾取されるようなことは無くなるでしょう。BIは現代にある不自由のいくらかを解消し、彼らにいくらかの自由を保証することができます。これが二点目のメリットです。
社会福祉
幾分か繰り返しになるかもしれませんが、BIは社会福祉の上位互換として考えることができる、というポテンシャルを秘めています。現代の福祉政策は余りにも無駄が多く、穴が多く、そして自由度が低い。公的扶助の受給を認可されるためには様々な制限を突破している必要があり、突破していたとしても、それを証明する必要があり、煩雑な行政手続きに骨を折らねばなりません。自立支援についても、行政側の一方的な指示や監視があり、いい結果になることは少ないです(具体例:失業者に対する就業支援では、行政側がどのような職に就くかを指示し、就職後も一定期間監視され、きちんと働かなければ扶助を取り下げられてしまうため、すぐにやめることもできない)福祉が肥大化した先進国諸国では同様の問題が共通してみられます。
このような問題の解決策の一つとしてBIを捉えることもできます。公的扶助つまり経済的な福祉支援を欲している人にとって、BIは十分な額を支給できます。煩雑な手続きなしに。手続きを省くことができるということは、それに携わっていた公務員の仕事を削減するということでもあります。事務作業が減れば、公務員の労働時間と財政予算に余裕が生まれ、その分市民の声に行政が応えることができるようになり、地方自治を活性化できます。BIなら不正受給のような問題も起きる心配がありません。
ここで一つ注意喚起です。社会福祉を軽視しないでください。健康な若い人にとっては社会福祉はもしかすると遠い存在かもしれません。病院にかかるときには医療保険の恩恵を受けることもあるでしょうが、公的扶助などの社会福祉はどうにも現実的に考えられず、その問題に真摯に向き合う人は少ないです。しかし、誰しもが公的扶助のような社会福祉を必要とする状況に立たされる可能性を持っています。例えば事故にあって歩けなくなってしまったとき、例えば事件に巻き込まれて精神病を患ったとき、発達障害だと診断されたとき、冤罪で逮捕されたとき、どれも起こりうるケースです。勿論確率は高くないのかもしれません。しかし確率の問題ではない。もし起きてしまっても、誰もがそれから社会に復帰できるような、満足な形で自己実現できるような、そして生きていけるような社会福祉を確立しておく必要があるのです。
勿論「保険」というものもあります。しかし考えてみてください。もし仮に平均よりも低い収入で働いていて保険に加入できない人もいるとして、それでも彼は家族を養うために必死に働いています。一日の殆どを労働に費やすほど。そんな彼が事故に遭って長期の入院を余儀なくされた時、彼ら家族はどうなるのでしょうか。転職の難しい日本で働き口を見つけるのは容易ではありません。身体障がいを持っていればなおのことです。さらに失業期間が延びれば延びるほど就職には不利になります。履歴書に長い間無職であると記載することになるからです。実際このようなケースは少なくありません。特にアメリカでは深刻な問題です。転職が比較的しやすいアメリカで、です。何も悪いことをしていない、真面目に働いていたのに、このような悲惨な目に遭っていいはずがない。また問題を複雑にしているのは「心」と「世間の目」です。長い間無職でいることは精神的に苦しいものです。またそうなれば世間の目も厳しいことでしょう。彼らにとって、金銭的扶助はその場しのぎの支援に過ぎません。きちんと自己肯定感と社会へ参加しているという実感がなければ、意味はないのです。
このような予期せぬ「貧困層への転落」は見るも悲惨であまりに救いようがない。なぜ誰も手を差し伸べないのか。それは誰も自分のことと考えないからです。転落して初めて気づくケースが多く、しかし、彼らには声を上げる余裕もなく、その数も十分でない。私はBIを勉強する中でこのような社会福祉の問題に気づくことができ、もっと真摯に考えるべきだと考えを改めました。どれほど伝わったかわかりませんが、もし賛同してくれるなら、読んでくださったあなたも、もう少し真剣に社会福祉を考えてほしい。
少々脱線しました。社会福祉を改善、これが三つ目のメリットです。
なぜBIは採用されないのか
ここまで三つのメリットを紹介しましたが、BIについてどんなイメージを持ったでしょうか。とても素晴らしいもの?なんか怪しげ?危険な思想?どう思ってくれてもいいのですが、ここからは、なぜBIが採用されないのか、ということに注目して、BIの課題やデメリットを紹介していきます。
実際BIは、500年以上前にイギリスの思想家トマス=モアが著書『ユートピア』の中でその構想を披露して以降度々議題に挙がっています。そして現代が歴史上最も積極的に議論されている時代といえるでしょう。BIEN(basic income earth network)のガイ・スタンディングを筆頭に多くの活動家、経済学者、政治家がBIの構想を紹介しています。いくらかの国家ではBIを採用するかの国民投票が行われ、ヨーロッパではBIが選挙の争点だとさえ言われます。まあ実際それらの国家の国民がどれだけBIに関心と知識を持っているかはわかりませんが、少なくとも日本ではほとんどそれを耳にしないということは事実と考えてよいでしょう。
BIが持つ課題は財源確保と偏見の二つです。どちらも大きく難儀な問題です。
財源確保
BIの課題としてやり玉に挙げられるのはなんといっても財源です。最低貧困線を超える生活費を月十万円とすると、年120万円、日本の人口を1億2000万人とすると、BIに必要な予算は144兆円。国家予算が100兆円を超えてニュースになるくらいですから、たった一つの政策のためにこれだけのお金が動くことがどれだけ大変なことかわかるでしょう。
なので、現実的に議論されているBIの多くは、今までに述べた最も理想的なBIよりも「弱い」BIです。実際上先に述べたようなBIは今のところ実現不可能です。お金は自然に生まれません。では現代議論されているBIはどのようなものなのかといえば、それは様々です。国の財政状況や経済指数、国民性、人口とその内訳、様々なファクターに応じてその形を変えているのが、現代に現実として考えられているBIの特徴です。
例えば、子どもには給付しないように設計したり、最低貧困線を超える程度の生活費の支給を諦めたり、全ての人に支給することを諦めて、所得制限を設けたり、など。また、財源確保の手段も様々講じられていますが、最もオーソドックスなのは政府の福祉事業を撤廃する、という考え方です。BIと「かぶる」ことになる福祉事業を撤廃して元々そこにかかっていたお金をすべてBIに回せばいいじゃないかと。他には、高所得者層からもっと多くの税金を徴収しようとか。まあなんにせよ反対意見が燃え上がりそうです。
偏見
BIが抱える課題は財源だけではありません。「偏見」も大きな壁となっています。一見するとよくわからないかもしれません。このピンとこない感じが偏見の恐ろしいところなんですけど。
これに関してはあまりにも闇が深いので長くは書きたくないのですが、人種差別意識の根強い多民族国家では、被差別人種が同じ額の給付を受けるのが気に食わない、という意識が強いです。そういった意識がマジョリティに蔓延している以上、BIの採用は難しいのです。人種差別でなくとも、同額の給付という、この「水平的平等」に不快感を募らせる人々は一定数存在していて、例えば無職の人やアルコール、パチンコ依存症の人への給付のために自分たちの税金が割かれることが許せないという理由で、BIに反対する人などがそれにあたります。
実際に都市で施行されたBIの実用実験では、給付されたBIを無駄遣い(酒やギャンブルに浪費すること)したケースはむしろ稀だったと報告されていますが、どうにも「自己管理できていない(ようにみえてしまう)人」への蔑視は解消しえない社会問題のようで、彼らを説得するのは非常に困難です。
このように財源という政策を完成させる前の課題と、偏見という採用されるための課題が壁として立ちはだかっているのがBIの現状です。
BIのこれから
BIは希望的かつ革新的なアイデアです。ここに書ききれなかったメリットも他にあります。勿論課題はあり、すぐに実現するようなアイデアではないでしょうし、仮に現時点の妥協的なBIを政策として施行したところでいい結果は得られないと思います。それでも、近い将来BIが我々の社会で大きな存在感をもつだろうと私は考えています。現代のテクノロジーの進歩は加速度的、いや指数関数的で、次々に過去の価値観を打ち壊していっています。労働の在り方、経済の形、福祉の捉え方、今後複雑に変化していくでしょう。その時にBIは価値観に合わせとても柔軟にその形を変えながら、ある一つの解決策を提示するでしょう。トマス=モアがユートピア(桃源郷)の中にBIを設置したように、我々が築きうる社会にもきっとBIがある、私はそう信じています。なぜならBIこそが人類が考えた政策の中で最も純粋に「自由」と「平等」を我々にもたらすから。
おしまい。
(ちなみにこの度の竹中平蔵氏の発言について私の見解を述べるなら、そんなに重大な問題かな?という印象です。竹中氏の発言に対し「これはベーシックインカムではない」のような批判が多く見られましたが、私としてはその批判は全くの見当外れだと思っています。ここで述べたようにBIは様々な実用案を持っていて、所得制限つきのBIもあるし、月7万円のBIもあるし、他の福祉政策を撤廃して予算に充てるBIもある。だから竹中氏のいうBIも立派なBIだし、なんなら普通に常識的なBI案だとすら思います。またその意味で、「月7万円では生活できない」のような批判も的を射ていないでしょう。現行のBI案の殆どは生活費全額支給を目標とはしていませんので。つまり、竹中氏の発言に「間違っている」ところはないと考えます。少なくとも経済学的見地からは。伝え方の問題か、国民に知識と理解が足りなかったのかもしれません。勿論竹中氏が本気でおかしなことを言っている可能性もあります。「月7万円で生活できると思っている」とかね。でも彼が言っているのはれっきとしたBI論だし、それが、「現代の日本に適しているかどうか」を国民が判断しましょう、というのが問題の本質だと思いますよ。)
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