音楽における「パクり」問題

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「○○は○○のパクりだ」みたいな言説は皆さん一度は耳にしたことはあると思いますが、今回は音楽の「パクり」問題について話していきたいと思います。音楽をほんのちょっとかじってる身として、音楽制作の観点から考察するのは勿論、商学部で学んでいる身として、音楽を財として売買する、経営の観点からも考察していきたいと思います。

まず初めに、「パクり」という概念について考えましょう。現在、日本ではメジャーレーベル、一部のインディーレーベルの音楽には、JASRACによって著作権が与えられ保護されています。つまり、著作権を侵害するような創作は違法です。ではなぜ、「著作権侵害(盗作)」ではなく、「パクり」という表現が使われるのか。それは、音楽という創作において、「著作権侵害」の判断が困難、いや不可能だからです(ここでいう著作権侵害は著作物の無断使用などではなく、別の創作において過去発表された著作物を盗作している場合を指す)。

特許申請された技術を無断で使えば、これは紛れもなく知的財産権侵害で違法です。音楽における「パクり」も基本的には構造は同じです。ある楽曲の中にある「技術」を「知的財産」と捉え、それが以後発表された他の楽曲の中で無断で使用されていた場合、知的財産権侵害、という意味でその創作行為を「パクり」と呼称するわけです。

しかし、音楽において、「技術」とは何でしょうか。ただのテクニックという意味ではありません。知的財産として認められうる「技術」です。(金属を綺麗に磨く職人がいて、その人のテクニックは特許申請不可能な単なる「技術」に過ぎないが、金属研磨材を開発する企業が、新しく薬品の調合法を発見して新たに強力な研磨剤を開発すれば、これは特許申請可能な技術である)

例えばコード進行のことを考えてみると、キーが12音階分あって、それぞれのキーにメジャー、マイナー、セブンスなどなどあって、その順列という意味でコード進行を考えると、無数にパターンは生成できますが、実際はそうではありません。ダイアトニックコードという大枠があり、ノンダイアトニックコードを使う際にも、転調の際にも一定のルールに従う必要があります。となると、「音楽として成立しうる」コード進行は、有限、それもかなり少ないパターンしかない、ということになります。事実、日本の年間ヒットチャートでは、毎年トップ100の楽曲の内、15~20曲が「王道進行」と呼ばれる同じコード進行を使用しています。

じゃあそういう楽曲は「パクり」か、と言われれば、それは違うでしょう。もしこれがパクりなら、我々が聴く全ての楽曲はバッハのパクり、とかベートーヴェンのパクり、とかビートルズのパクりとかになりますから。

そういった理由で、「技術」はパクりとして問題視されえないわけです。コード進行以外の特殊奏法やアレンジ、リズムパターン、などなど、それはパクりの主役にはなりえない。もしそんなことする輩がいれば、その人は全然音楽のことをわかっていない、ということになりますね。

私の体感としては、パクりとしてやり玉に挙げられるのは、ざっくり楽曲の「雰囲気」です。聞き手の多くは音楽における楽曲の「雰囲気」を大雑把に「知的財産」とくくっているというわけです。自分が聴いてきた曲の中で、雰囲気が似てるな~っていう楽曲を上げましょう。

SCREEN mode / Naked Dive – MV Short Ver.
screen mode 『Naked Dive』
[PV]Starburst/Fear, and Loathing in Las Vegas
Fear, and loathing in Las Vegas 『Starburst』

なんか似てませんかね。自分としては二曲とも大好きな曲なんですが、まあ、なんか似てますよね。一応『Naked Dive』の方が後に発表されているので、まあ、パクりということになるんですかね。

ただ、いざ似ている曲を聴いたところで、パクりか、と言われると、なんか微妙ですよね。パクリと言われればそんな気もするし、そこまで気にならないような気がする。結局、境が曖昧なんですよね。「雰囲気」が似ている、という時点で、極めて主観的な尺度を使用するのが必然的に予想されます。

ここで一つ結論を述べましょう。「パクり」の問題は、客観的な「技術」の観点で語ることは不可能であり、そのほとんどが主観的な「感じ方」によって語られている。「パクり」という概念は、ある楽曲、あるアーティストの熱狂的ファン、狂信者によって生み出されているといっていいでしょう。(狂信者でなければ、わざわざ「パクりだ!」とやり玉には上げない)自分の経験的な話になってしまいますが、音楽が好き、音楽に詳しい人ほど、「パクり」には寛容です。というか気にしてないです。私も全く気にしてないです。一部の狂信者が、「私の大好きな○○に似ている!パクりだ!」みたいな、同担拒否みたいな文化なんですかね。よくわかんないですけど。ちょっと前の鬼滅パクり炎上もそうですよね。

ここからもう少し深堀りします。

まずは「パクり」と言われるような楽曲がなぜ生まれてしまうか。その理由は主に二つです。

一つ目はそれが名曲だから。先ほども言いましたが、ヒット曲は同じコード進行を使用している、みたいな感じで、音楽制作にもある種の公式が存在します。その公式がなぜ公式かと言われれば、それが名曲を生み出すからです。パッヘルベルのカノンに由来する「カノン進行」は現在もJ-POPなどに見られるし、90年代、小室哲哉がその楽曲で多用した「小室進行」はボーカロイド楽曲でも多く見られます。このように、名曲に使用されたコード進行は受け継がれ、多用されるのです。コード進行だけでなく、様々な技術が新たに生み出されては流布されていくのです。ともすれば、楽曲を通して似たような雰囲気の楽曲が生まれてしまうのもわからなくもありません。

二つ目は嗜好の影響です。つまり、好きなアーティストの影響です。楽曲を作る際に、自分が好きなアーティストの影響によって、そのアーティストと似たような楽曲が出来上がってしまうということです。これも、わからなくもない話で、例えば漫画家とかを考えると、『ドラゴンボール』とか『ワンピース』が好きな人が、恋愛漫画を描くかと言われれば、描かないだろと、バトル漫画描くだろと、特殊能力マシマシでバトルさせるだろと。それと同じように、音楽でも、好きなアーティストの影響が色濃く出てしまって、「パクり」になってしまうみたいなことはあるわけです。tetoというバンドがいるんですけど、彼らの楽曲を聴くと、もうとにかく銀杏BOYZっぽいんですよね。絶対銀杏BOYZ好きやんっていう。(公式のMVが存在しないのでここに転載はしませんが、tetoの『farewell to past waltz』と銀杏BOYZの『I don’t wanna die forever』、tetoの『夢見心地で』と銀杏BOYZの『夢で逢えたら』はかなり似ているので、調べて聞いてみることをお勧めします)

まあ、ある程度「パクり」ってのは発生して仕方ないものなんですよね。勿論、悪意によって「パクり」をはたらいた作品もあるでしょう。しかし、よく考えてみると、音楽の世界では、多くの場合、そういった「パクり」も、いや、全ての「パクり」は大した問題にはならないんですよね。

そもそも、なぜ知的財産権の侵害が法律で禁止されているかということを考えると、それは、知的財産権を持っている者が不利益を被るからです。新しい研磨剤を開発した企業は、その開発のために様々な資本を投資しています。研磨剤の販売によってそれを回収するとともに、利益を生み出さなければいけません。そこで、競合他社にその技術を使用され同じような研磨剤を販売されれば、売り上げは分散され、本来見込まれていた売り上げを達成できず、そういう意味で不利益を被るわけです。盗作されれば、盗作された側が損をする。それを無くすために、著作権の保護が公的機関によって執り行われているわけです。大雑把にいうとね。

音楽の話に戻りましょう。ある楽曲を「がっつりパクって」曲を作ることを考えます。まず、そのパクろうとしている楽曲がそもそも大して売れてない楽曲なら勿論、大ヒット曲だとしても、知的財産権を持っている者が不利益を被ることはまずありません。考えてみてください。接着剤Aがあって、そのパクリの接着剤Bがあって、この場合だと、Aの顧客を一定数 Bが奪うこともありえますよね。でも楽曲Aがあって、そのパクリの楽曲Bがあったとしても、Aを聴いていた人が、Bの登場によってAを聴かなくなるかと言われたら、そんなことないですよね。音楽において、多くの場合、「パクり」は顧客を奪いはしないんです。利益の面を考えれば、音楽業界にとって「パクり」はさして問題視する話ではないんです。

改めて結論を述べます。「パクり」っていうのは、作り手の問題ではなく、聴き手の問題です。作り手の側からすれば、「パクり」は一定数必然的に生まれうるし、それ以前に生まれたところで大して問題でもない。結局「パクり」だなんだとファンの方が勝手に騒ぎ立てているだけの話なんです。勿論盗作はいけないことですよ。しかしながら、「パクり」と言われるものの中から、悪意に基づいた盗作だけを分類するのは不可能です。つまり、「パクり」だとやり玉に挙げるのも、それを是正するのも、なんのメリットもない無駄な行為ということです。というか、この曲はあの曲のパクりだ、みたいな話は見ていて不快です。誰も幸せにならない。

音楽だけに限らず「創作」の世界における「パクり」には、寛容になるのが一番です。純粋に作品を楽しみましょう。そして今後「これは○○のパクりだ」とか言ってるヤツがいたら、「あーこの人は○○のことが本当に大好きなんだなあ」と温かい気持ちで見守り、決して関わらないようにしましょう。

※おまけ

「パロディ」という概念も創作には存在して、まああからさまに「パクり」を行うことで面白さを演出するというもので、漫画とかでは少なからず見かけますよね。『銀魂』とか。実は音楽の中にも「パロディ」のようなものを使った曲もあります。例えばゴールデンボンバーの『†ザ・V系っぽい曲†』はヴィジュアル系バンドの楽曲に特有の構成をパロディした楽曲とも言えます。またクリープハイプの『身も蓋もない水槽』は、エレファントカシマシの『ガストロンジャー』という楽曲に酷似しているのですが、尾崎世界観(クリープハイプのボーカル)はその楽曲の間奏中に、「てかこれガストロンジャーみたいだな」って言ってます(歌詞カードには書いてない)。これもある種のパロディでしょう。

「パクり」と似た概念に、「インスパイア」や「オマージュ」というのがありますが、まあ語源とか一応ちゃんとした定義とかはあるんですが、日本の音楽シーンでは、これらの言葉は大体「あるアーティストの影響を受けた」という意味を示していると思って差し支えなく、この文章中の「二つ目は嗜好の影響です…」の段落で述べていることがよく当てはまります。

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