一橋大学の二次試験を「倫理政経」選択で突破した希少な人材であるこの私が、哲学の歴史をふわっとそれっぽく紹介しようという、今回はそんな企画です。価値観が多様化する現代、「哲学」は皆さんが思っている以上に強い学問でしょう。興味がある人もない人も、是非読んでってください。ほんとに軽ーく書いていきますので。歴史上の5つの転換点を軸にしながら、書いていきます。それでは行きましょう。
1.哲学の始まり
歴史における哲学の始まりは紀元前までさかのぼります。場所はギリシア。人類が集住をはじめ、自治を行い始めるとかそこらとかの時代です。当時にも「学問」のようなものはありましたが、ちょっと偉いっぽい人がテキトーに思いついたことを言って、周りの人が「へー」っていうみたいな、そんなテキトーなものでした。そこに現れたのが、人類最初の哲人タレスです。

彼は「世界の本質についてちゃんと考え」ました。まさにこれが哲学です。テキトーなこと言ってる偉そうなおっさんをよそに、タレスは当時アルケーと呼ばれた世界の本質についてきちんと論理的に考察しました。万物は流動的に形を変えることができる、だから世界は水でできている。これが彼の考察です。まあかなりふわっと言ってはいますが、実際そうでなくても、現代人が見ればかなりしょぼい考察に見えるでしょう。悲しいことに、タレスの理論は当時の人々にも全くウケることなく、彼は死んでいくのですが、その陰で、他の知識人たちも彼に刺激されて、彼のように論理的にアルケーについて考察し始めます。世界は火でできていると考えたヘラクレイトス、世界は数でできていると考えたピタゴラス、世界は原子でできていると考えたデモクリトス、などなど様々なアイデアが登場します。そして以降現代にいたるまで、世界の本質を考える哲学は続いていくわけです。
とはいえ、当時のアルケーについての考察には決定的な弱点がありました。それは、実証不可能であるという点です。よって、彼らの理論は次第に無用の長物と思われるようになっていき、その後しばらくソフィストと呼ばれる弁論家たちによる口喧嘩時代が続き、哲学の勢いはさっぱり衰えることになります。
3000~4000年前の世では「学問」とは思いつきをべらべらそれっぽく語るようなものだった。
タレスが”論理的に世界の本質を考える”という「哲学」を創始する。
しかしその「哲学」は実証不可能であり、却って論理偏重主義が助長され、ソフィスト(弁論家)による詭弁が横行することとなった。
2.アテネの三巨人

ソクラテス
世は大論破時代、言い負かしたほうが強い、みたいなそんなクソみたいな時代に、ソクラテスが登場します。色々背景はあるのですが、とりあえずソクラテスはソフィストたちが本当はどれくらい頭がいいのかを確かめに行きました。そこで使われたのが問答法です。とにかく、「なんで?」って聞き続ける感じです。子どもみたいな作戦ですが、それによって、頭がいいとされたソフィストたちは、実のところ知ったようなふりをしただけのおっさんだということを暴きました。さらにソクラテスは知ったかぶりをしてるソフィストの連中より、「己が何も知らないということを知っている、という点で私は勝っている」という謎理論でマウントを取ります(有名な「無知の知」)。最終的にソクラテスはソフィストたちの恨みを買い、濡れ衣を着せられ処刑されます。
しかし、ソクラテスの意志は潰えませんでした。弟子のプラトンの活躍です。彼の影響力は凄まじく、「後の哲学者はプラトンの理論に付け足ししてるだけのようなものだ」と言われるほどです。じゃあプラトンが何したんだって話なんですが、まーたこれもよくわからん事言ってるんです。彼はイデアと呼ばれるよくわからん概念を想定しました。これは、世界の理想形、本来あるべき姿で、我々の手の届かないところにあり、そして我々の世界はそのイデアと同じ世界になるために働きかけ、我々自身もイデアの姿を追求する、さらには世界は現象界(現実)とイデアによって二元論的に説明できるといいました。はい。言いたいことはわかります。まあ、イデア論を理解するのは容易ではありません。ここではとりあえず、プラトンは世界の現象の裏側には「美しい真理」が潜んでいると考え、「二元的」に世界を考えた、という二点だけ抑えてくれれば十分です。人類は現代でも科学によって現象の真理を追究し続け、二元世界に身を置いている、ということを考えれば、1ミリくらいはプラトンのすごさがわかるのではないのでしょうか。
プラトンのイデア論に異議を唱えたのが、彼の弟子のアリストテレスです。彼は、手の届かないところにあるイデアを否定し、真理は我々が見ている世界そのものの中にある、と述べます。ラファエロの名画『アテネの学堂』の中央には、天(イデア)を指すプラトンと地(世界)を指すアリストテレスが議論している姿が描かれています。アリストテレスは自身の理論に則り、真理を暴くため、世界を注意深く観察していきます。そのなかで、様々な学問を研究、多くの法則や原理を発見し、のちに「万学の祖」と呼ばれるまでになるのです。

左がプラトン、右がアリストテレス
彼らアテネの三巨人によって古代哲学はある種完成を迎えます。しかし、悲しいかな、その後1000年以上にわたって、哲学は歴史に忘れ去られることになるのでした。
ソクラテスは問答(対話)によって知を確かめ、己もソフィストたちも皆無知であり、もっとちゃんと考えなきゃダメじゃね?と警鐘を鳴らす。
プラトンは全ての現象の裏にはイデアという真理の働きが存在するとしたうえで、しかしイデアは人間にとって手の届かないものだとした。(世界の本質=イデア)
アリストテレスはプラトンの言う真理は現実世界にあり認識可能だと考え、現象の観察より自身の仮説の実証を試みる。(世界の本質=現象を支配する物理法則)
3.宗教の隆盛
※私はいかなる宗教にも属しません。また、すべての宗教に対し信仰を否定する気は毛頭ございません。構成上、一部の教義に否定的な意見を述べることがあるかもしれません、予めご了承下さい。
2000年程前、イエス・キリストが誕生します。これによって、哲学は大きな転換点を迎えるのです。イエスは当時腐敗していたユダヤ教の再生に努めます。その活動の中で彼が展開した世界観や彼の生き様そのものが、のちの宣教師たちによって「キリスト教」という新たな宗教として結実します。(勘違いしている人も多いが、イエスがキリスト教を作ったわけではない)時代が下るにつれてキリスト教の権威は拡大していき、10世紀を超えるころにはヨーロッパ世界においてキリスト教の教義の影響力はまさに支配的でした。「世界は神が作った」という考えを根幹としたキリスト教的世界観は、アテネ以前の哲学を完全に葬り去ってしまいました。科学が支配する現代では考えられないようなオカルティズムに偏った世界への理解が根深く、浸透していきました。
この時代(2000年前~1500年前)、ヨーロッパだけでなく、世界各地でいくつもの宗教、またはそれに準ずるオカルティックな世界観が誕生します。アラビアのイスラーム、中国の諸子百家や五行思想、インドの仏教など。これらがその土地土地に現代にも続く文化や因縁を遺しているのは言うまでもありません。また、哲学という目線で見れば、以降1000年以上に渡って、世界の本質の捉え方は、宗教によって固定され、また宗教それ自体が、宗教を否定するような世界の本質への考察を迫害したことにより、哲学は長らく停滞することになります。
約2000年前~1500年前にかけて、宗教が隆盛、政治とも強く結びつき、各宗教の世界観が社会の中で支配的な影響力を持つ。
主要な宗教においては神のような人間の上位存在が仮定され、世界はその存在によって規定されているとされていることが多かった。
宗教的世界観の否定は禁忌であると同時に、そもそも誰もがそれを疑わなかったため、長らく哲学は停滞する。
4.科学革命と近代的自我
しかし、学問を追求するその営みが、完全に消え去ったわけではなかったのです。今からおよそ500年程前、あまりにも巨大な権能を獲得したキリスト教会が腐敗し始めたのと時を同じくして、ガリレイやコペルニクスらの科学者が現れます。彼らは教会からの迫害の中でも、否定のしようのない実証によって、その発言力を確固としていき、ついにはキリスト教の世界観への理解を揺るがすほどの影響力を手に入れます。科学革命、さらには宗教革命の始まりです。
世界への認識が大きく揺るぐ中、再びアテネの三巨人の哲学が注目されます。哲学は再び息を吹き返すのです。そしてある男の登場によって、人類の歴史はターニングポイントに至ります。

その男の名はルネ・デカルト。このドヤ顔おじさんです。彼は「大陸合理論」の先駆者的存在であり、わかりやすく言うと演繹法という思考法を哲学に用いました。もっとわかりやすく言うと演繹法というのは、一つのある事実Aを起点にして、AならばB、BならばC…というように推論を広げていく考え方です。デカルトはこの推論を万物に拡大できる事実Aを見つけることができれば、それこそが真理だ!と考えました。というわけで、その事実Aを見つけるために彼は、当時学問と呼ばれたものは全て学びつくしました。彼はとんでもない天才だったのです。そして各々の学問の中の原理や法則に、あのソクラテスの問答法を用いて、どこまで信憑性、普遍性があるのかを確かめました。しかし、どの学問も絶対的な正しさを持っていないことに気が付きます。その懐疑の末には、そもそもこの世界も自分の身体でさえも絶対存在するとは言えなくね?となり、何もかもが信じられなくなるのですが(皆さんもこう思ったことありませんか?)、最終的に「いや、こうやって万物を疑い続ける自分の精神だけは確実に存在する」と結論付けました。つまり、真理となりえる事実Aを、自分の精神だと断定したのです。(これがあの有名な「我思うゆえに我あり」です。正式には「コギト・エルゴ・スム」というラテン語によって彼の著書『方法序説』の中で記されています)
なぜデカルトが人類の歴史に大きな影響を与えたかと言えば、それは、彼が近代的自我を完成させたからです。近代的自我とは、人間を自然とは完全に乖離した存在として考える価値観です。それまでの宗教的世界観やそれ以前においては、人間は世界の一部であり、ある意味で世界の真理に隷属する存在として自己を定義していました。ともすれば、デカルトの考えは極めて画期的です。世界の真理が自分の精神なのですから。このデカルトの合理論を境に、人類は「個人」として生まれ変わり、価値観は大きく様変わりします。
このデカルトに対抗した学派もありました。それが「イギリス経験論」。代表としてここではフランシス・ベーコンを挙げましょう。
彼は演繹法に対し、帰納法と呼ばれる方法で世界の真理を追究します。簡単に言うと、とにかく実験して何回も何回も実験したなかで、変わらない結果があれば、それこそが普遍の真理だ、という考え方です。デカルトの、自分の精神を起点にして世界の構成を考えるという立場に対して、「自然は隷属することによってしか支配しえない」として実験を重視しました。
しかし、二つの理論にはそれぞれ重大な欠点がありました。大陸合理論には「独断」という弱点が。事実から推論を広げるにあたり、自分の精神を起点とする以上、主観から逃れることはできず、バイアスが必然的に発生します。一方イギリス経験論には「懐疑」という弱点が。100回実験して、その100回とも同じ結果だったとしても、101回目も同じ結果になると断定できるわけではありません。内部に大きな欠陥を抱えるこれら二つの理論の対立は混沌を極めていきます。
ガリレイ、コペルニクスらが、実証によって宗教的世界観に対抗することで、科学的世界観(哲学)が権威を回復する科学革命がおこる。
デカルトはある確かな事実から推論を広げる演繹法を哲学に用い、疑いようのない己の精神の存在こそが普遍の事実、つまり真理だと考えた。
ベーコンは実験事実から普遍性を暴こうとする帰納法を哲学に用い、自然の中にこそ真理は潜むと考えた。
5.哲学の限界と未来
この大陸合理論、イギリス経験論の論争に終止符を打ったのがイマヌエル・カントです。

イマヌエル・カント
彼は、簡単に言うと、大陸合理論とイギリス経験論の妥協的統合を行い、いうなれば「哲学の限界」、「哲学が取り扱いうる領域」を定義しました。彼が注目したのは、人間の「理性」です。ということでここから彼の理論を説明していきたいのですが、カントの理論は、まあとにかく難しくて、ここで説明しても理解させることもできないだろうし、興ざめなので、ちゃんと説明することは諦めます。カントの理論はほとんど毎年一橋の倫理の記述で出題されていて、そういう難易度ということです。
彼は二つの理論の弱点を克服するのではなくそのまま受け入れました。主観から逃れることはできないし、だから、実験事実を客観的な普遍として認識することもできないと考えました。「対象に認識が従うのではなく、認識に対象が従う」と彼は考えたのです。これが真理であるとも言えますが、ある意味では、彼は普遍的な真理の追求を不可能として諦めたとも言えます。普遍、つまり全ての人に共通の視点は、ない。しかし逆に、だからこそ彼は「自律」を重視しました。己を律し善く生きることが大事で、そうしないと価値観は衝突する、平和は脅かされると彼は考えたのです。そのために彼が用意したのが動機主義です。行動の「動機」を重視する立場です。結果ではなく動機を重視するからこそ、「自律」が完成するというわけです。
こんな感じのやつがカントの哲学です。まあ、カントは色々哲学的功績を遺しているうえ、そのすべてが難解なので、よくわからんって人も多いと思いますが、でも彼の存在は哲学史においては極めて偉大で、しばしば哲学史は「カント以前」と「カント以後」に分けられます。哲学史を勉強すればするほど、カントのすごさがわかると思うし、カントの哲学はわかればわかるほどセンセーショナルで、現代への示唆すら含むほど意義深い学問です。私としては人生で一度は学んでほしいと思っています。
カント以後
それではカント以後の哲学をざっと紹介して終わりにします。カント以後の哲学は複雑多岐に枝分かれしていき、また、カント以前のスピリチュアルな理論に対し現実的な理論が多い特徴があります。
ドイツ観念論(ヘーゲル)

ヘーゲル
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルはカントの後継者的な人で、世界の歴史の潮流について考察しました。彼の哲学のキーワードは「絶対精神」と「弁証法」の二つです。ヘーゲルは、世界の歴史は自由を拡大させるために動いている、と考え、それが「絶対精神」という大きな力の働きだと定義しました。そしてその働きのメカニズムを「弁証法」で説明します。弁証法とは、二つの立場の対立が起こった時にその二つを統合して「進歩」するという仕組みのことを言います。この絶対精神の弁証法のメカニズムこそが世界の歴史の裏にある真理と考えたわけです。(ここでいう「進歩」のことを正式にはアウフヘーベンというのですが、こないだ小池都知事が会見でこの「アウフヘーベン」って言葉を仰ってましたね。さて意味が分かった人は一体どれだけいたのか…)
唯物史観(マルクス)

カール・マルクス
カール・マルクスといえば、皆さん一度は名前を聞いたことはあると思いますが、彼の哲学はヘーゲルの世界観を逆向きにしたみたいな感じで、ヘーゲルが世界精神という偉大な力によって歴史が動くと考えたのに対して、マルクスは階級闘争における下流階級の力によって歴史が動くと考えました。マルクスが生きていた当時は、産業革命がヨーロッパに波及するその最中、労働環境は最悪で、マルクスは「こんな社会間違ってる」って思ったわけですね。だから、虐げられてる労働者よ立ち上がれ!的な理論を展開しました。これは社会主義の基盤的な思想へと結実し、マルクスの意志はレーニンに継がれ、ソ連という国家、いや、一時代を築くに至りました。
功利主義(ベンサム)

ジェレミ・ベンサムはカントの動機主義に対して、徹底的な帰結主義の立場を取りました。結果こそがすべてで、結果としてより多くの幸福を生み出したものが善であるという考え方で、功利を重視するという意味で、功利主義ともいわれます。彼は、幸福(功利)を計量するための尺度や理論を整備することで、客観性に富んだ「善のモデル」を完成させ社会をより良くしようと試みました。同時に、制裁(サンクション)と呼ばれる刑罰についても整備し、現代の司法においても彼の帰結主義の影響はかなり色濃く残っています。
実存主義



ジャン=ポール・サルトル
実存主義は、これまたよくわからん概念なんですが、「自分が自分らしく生きていくこと」について追及する哲学です。もうこの辺まで来ると、世界の本質とか考えてなくね?って感じですが、まあ目を瞑ってください。もう内容を詳しく解説するのは諦めます。キェルケゴールが創始した実存主義は結構バズって、以降様々な実存主義の哲学者が登場します。ニーチェやサルトルはその代表でしょう。キェルケゴールが「神」という存在と対比することによって「自分」というものを定義したのに対して、ニーチェは「神」、とりわけキリスト教をがっつり否定します。これは当時にしてみれば常軌を逸した行動で、そんなわけで彼は変人扱いを受けることになり、精神ぶっ壊すことになるわけですが、結果としては現代にまで彼の哲学は影響を遺しているわけで、まあ、不憫ですね。サルトルは「自分が自分らしく生きること」という意味で「自由」について考察を深めていきます。そこで彼が持ち出した、自由に必然的に付随する責任の概念は非常に画期的で、ホント自由をはき違えてる現代人全員に彼の爪の垢を煎じて飲んでほしいと思いますね。
プラグマティズム
プラグマティズムはアメリカで独自に発展した哲学で、平たく言えば、「実用性」をとにかく重視する立場です。実にアメリカ的な合理的な観念で、形而上学の全面的な否定に始まり、実用性によって価値判断をおこなうスタイルは、教育の分野にも色濃く影響を遺しており、「実学教育」はプラグマティズムの哲学者デューイの教育理論によるものと考えてよいでしょう。アメリカ特有の哲学であるため、現代の経済、政治、教育を考える上では避けては通れない哲学の立場です。
カントは大陸合理論・イギリス経験論両者の弱点をそのまま認め、哲学の限界を認識した。主観によるバイアスや実験事実の普遍性を裏付けるものがないことから、人間には世界の本質という未知のものを、”正しく”認識することはできないとした。また、人間の認識の根幹をなすのは理性だとし、理性を磨くと同時にそれによって己を律することが重要だとする独自の道徳観を提唱した。
哲学の限界を示唆する認識論は、哲学の潮流そのものを大きく変動させた。カント以降哲学は「いかに世界の本質の探究するか」から「いかに世界の認識を規定するか」に変り、カント以前と以後では全く違うものとなった。
おわりに
以上紹介したほかにも、ジョン・ロールズの正義論、ジークムント・フロイトの精神分析学、ウィトゲンシュタインの数理論理学などは歴史上重大な思想の転換点を生み出したといえる哲学です(いずれもカント以後の現代哲学)。名前くらいは覚えておいて損はないでしょう。
今回は長々と哲学の歴史について書いていきましたが、哲学史や哲学は、世界史は勿論、科学史とも深いつながりがあり、文系の科目と思われがちですが、理系の人たちにとっても十分学ぶ意義のある学問です。ていうか普通に面白いと思いますよ。さらにいうと、実は哲学って理系よりな学問で、そもそも今回紹介した哲学者の殆どが数学や物理などで権威のあった学者で、ウィトゲンシュタインなんかは数理論理学の父だし、デカルトも「デカルト座標系」の生みの親だし、マルクスの『資本論』も中身はほとんど数式ですからね。逆に純文系の学生にはかえって学ぶハードルが高い学問かもしれません(笑)。(…全く数学出来ないのに大学生になれる日本の教育制度の方が問題では?)
読んでいただきありがとうございました。間違い等あればご指摘お願いします。
コメント
こんにちは、たいへん面白く読ませていただきました。
この記事では紹介のみに留まったカント哲学の詳しい解説が読みたいと思いました。
また西洋思想史に限らず、東洋思想だったり日本思想の歴史についての記事もリクエストさせてください。
大変申し訳ないのですが、私は東洋思想に関して深く勉強したことがなく、また今後もその予定はありません。リクエストに関しては善処したいですが、叶わない可能性もあることを予めご了承ください。