ライブハウス閉店の何が問題なのか

雑談
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COLONY閉店

本日、札幌のライブハウスCOLONYが4月をもって閉店することを発表した。現在、「コロニー」というワードはTwitterトレンドに上がっている。新型ウイルスが猛威を振るう社会情勢の中で、その初期の段階から「クラスター感染」を起こしたとしてやり玉に挙がっていたライブハウス。そのような社会の目や、自粛要請の中で現在進行形で厳しい経営が続いているライブハウス業界。そして今日ついにCOLONYの閉店が発表された。とはいえ、正直多くの日本人にとっては「どうでもいい」ニュースなのかもしれない。しかし、そこには誰もが目をそらしてはいけない問題が隠れていると思うのだ。今回は「日本のライブハウス」がどういうもので、どういう位置づけにあって、今回のニュースの問題はなんなのかということを私の主観ではあるができるだけ簡潔にまとめていく。

ライブハウスは酒場

殆どの日本人、ライブハウスに行ったことある人も、行ったことない人にとっても「ライブハウス=ライブするところ」というイメージがあると思う。これは半分あたりで半分外れだ。本来ライブハウスは「酒場」なようなもので、酒宴の盛り上げとして「ライブ」があるというのが基本構造である。そのため、ライブハウスでのライブでは、行ったことある人はわかると思うが、「別途ドリンク代」というものをライブ当日払う。それはライブの際発生する「場所代」を演者やレーベルから貰うだけでなく、来場者から「ドリンク代」を徴収することも経営の上で重要であることを示しており、日本では数少ないが、海外では酒を飲むという側面を前面に出したイベントハウスとしてライブハウスを経営しているものもある。つまり、客が現地に足を運ぶという「ライブ」こそが最も重要な収入源であるのだ。

日本人の殆どライブハウス行ったことない

ライブハウスでのイベントキャパシティは100~3000程度で比較的小規模のイベント会場となっており、そこでライブするアーティストはライブバンド(生音演奏)が殆どを占める。ここで浮かび上がるのは「日本人にとってライブハウスが無縁」であることだ。そもそも、わざわざお金を払って音楽を聴く人の少ない日本。ライブに行く人はもっと少ない。その中でも、CDの売り上げやライブキャパシティを考えれば、ライブに行ったことのある日本人の殆どは「人気アーティストのライブ」に行ったことがある人なわけで、キャパシティの比較的大きいZEPPクラス以上のライブハウスか、いやコンサートホールやスタジアムクラスのライブしか知らない人が90%なわけだ。つまりキャパシティ300人前後の一般的なライブハウスに行ったことある人なんて日本人のほんの一握りしかいないわけで、正直マイナーなバンドのライブに使われるのが「ライブハウス」というものなのかもしれない。

マイノリティを救済しない社会

今回の問題はライブハウスという「マイノリティ」が見殺しにされたということだ。社会の大多数にとって無縁なものを救済しなかった、それだけでなく、救済しなくていいとすら世論が動き、何の保証もせず見殺しにした。現在のように社会が窮地に追いやられたとき、最初に崩れていくのは少数派、弱者の方だ。今回はそれがライブハウスだった。ライブハウスに従事する人たちの生活は勿論、そこで楽しみを享有していた人たちの幸せを想像することもなく、「クラスター感染」という事実のもとで世論はライブハウスに冷たいを目を向ける形をとり、最終的に一つのライブハウスが閉店する形となった。一つだけではない。COLONYが閉店したということは、日本のほとんどのライブハウスが限界ギリギリだということだ。

様々解決しなければいけない問題が山積する中で、「自粛と補償の一体化」が困難なのはわかる。でも、問題の本質は補償しなかった「政府」にだけあるとは思えない。他人事を「他人事」としか思えない我々国民にあると思うのだ。今回のCOLONY閉店のニュースからそんな日本人の問題意識の低さをひしひしと感じた。政治を動かすのは、「政府」ではない。「国民」だ。少数派に厳しい社会を形成するのは我々の勝手だが、それが追い求めるべき理想の社会だろうか?批判ばかりで、自分のことしか考えていない人を多く見るが、もう一度今回の件を通して本当に今我々が感じ、考えなければいけないのは何か、再考していただきたい。

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